雪氷コア解析

世界で初めて人工的に雪結晶を作り出すことに成功した中谷宇吉郎先生は,「雪は天からの手紙である」という名言を残しています.この言葉の意味するところは,「千差万別の雪結晶の形を見れば(人工雪の実験結果を通して),その生成条件,つまりは当時の上空の温度と湿度がわかる」ということです.同じように,自然界の他の雪氷(積雪でも,氷河氷でも,池に張った氷でも)の形態や構造も,生成環境やその後の履歴を反映したものであり,さらには,氷結晶の中に異物が取り込まれて冷凍保存されていることさえあります.我々はそのような雪氷に記された“暗号”の解読を進めています.

研究に用いる主な試料は,南極やグリーンランド氷床の掘削によって採取された円柱状の雪氷コアです.氷床の内陸部において,雪は融けることなく積もり続け,氷床深部で氷へと変わります.氷床コア試料を深さ方向に分析することで,過去数十万年まで遡ることができます.まさに地球環境のタイムカプセルと言えます.

最近調べているのは,雪氷コアに含まれる空気含有物(気泡および空気ハイドレート)とエアロゾルです.雪が圧密されて氷化する際に,周りにあった空気が気泡として取り込まれます.深さとともに気泡内の空気は圧縮され,ついには氷と反応して空気ハイドレート(ガスハイドレート結晶の一種)に変わります.これらの空気含有物に保存されている大気成分は,過去の大気組成等を復元するための重要な情報となります.氷床コアは,氷床表面に沈着したエアロゾル(大気中の塵)の良い保存媒体でもあります.古いエアロゾルを調べることは,過去の大気の化学状態の理解に繋がります.マイクロメートルスケールの微小な空気含有物やエアロゾルを分析するために,顕微ラマン分光器や走査型電子顕微鏡・エネルギー分散型X線分光器(SEM・EDS)を利用しています.空気含有物やエアロゾルの組成と構造を解析することで,これらの物質の起源や履歴を明らかにします.現在,過去72万年間の気候変動情報を含む南極ドームふじコアの物理解析プロジェクトと,産業革命以降の高時間分解能古環境復元を目指したグリーンランド南東ドームコア研究プロジェクトに参加しています.

南極ドームふじコア.深度2884m(62万年前).写真提供:国立極地研究所.
ドームふじコア内部で観察された空気ハイドレートの光学顕微鏡写真.
グリーンランドSEドームコアから抽出したエアロゾルのSEM画像.

氷コアは,永久凍土地帯でも採取することが出来ます.永久凍土は,文字通り“凍ったままの土“のことで,学術的には「連続した2年以上0℃以下の温度状態にある土地」と定義されます.高緯度で氷河氷床に覆われていない地域には永久凍土が発達しており,地下に大量の氷が(場所によっては大規模な氷塊が)埋まっています.成因の違いによる様々なタイプの永久凍土地下氷が知られている中で,特にアイスウェッジ(氷楔)に興味を持っており,そのサンプリングや解析を進めています.アイスウェッジの主な起源は天水であり,氷床コアと同様に,古環境情報の記録媒体として有用であることがわかってきました.古環境復元のみならず,非常に複雑な形態や結晶組織を持つアイスウェッジ氷体の形成メカニズムを明らかにすること自体が,純粋に興味深い研究テーマです.また,永久凍土地下氷は,その内部に温室効果ガス(二酸化炭素,メタン)やその元となる有機炭素が大量に固定されているという点でも重要です.近年の温暖化による永久凍土の融解に伴い,これらの物質が周辺環境や大気に放出されつつあり,気候変動のトリガーとなることが危惧されています.

エドマ層(極度に発達したアイスウェッジ)露頭.@ノーススロープ(アラスカ)
アイスウェッジ内部で観察された気泡の光学顕微鏡写真.
アイスウェッジ薄片の偏光写真.単結晶ごとに異なる色で見える.

知床連山永久凍土探査・気象観測

北海道東部に位置する知床は,季節海氷を起点とした海-川-森(山)を結ぶダイナミックな食物連鎖や,その結果形成される特異な生態系が評価されて,2005年に世界自然遺産に登録されています.北半球で最も低緯度に形成される海氷の存在に左右される知床の自然サイクルは,気候変動の影響を特に受けやすいと考えられており,ユネスコの世界遺産委員会から知床における自然環境モニタリングを強化するよう勧告されています.

世界自然遺産は,人為的影響を受けていない核心的な地域(核心地域)と,核心地域の緩衝帯としての役割を果たす地域(緩衝地域)に区分されています.調査研究の対象としている知床山岳域は,標高1500mを超える山々の連なり(知床連山)として知床半島中央部を縦走し,世界自然遺産の核心地域を占めています.

2019年から,知床の山の上で永久凍土を探しています.分布の南限にあたる国内の永久凍土は,ただ珍しいだけでなく,環境変化に敏感に応答し,気候変動のセンサーとして機能することが期待されます.知床連山山頂付近に設置した気温計と地表面温度計から得られたデータを解析した結果,サシルイ岳ピーク南西斜面周辺および硫黄山-知円別岳間稜線上に,永久凍土が存在する可能性があることがわかってきました.今後見込みのある地点で地温測定を行い,永久凍土の存在が認められた場合は,永久凍土分布の長期モニタリングを実施したいと考えています.

永久凍土探査と合わせて,知床の山の上で気象観測(気温,湿度)を実施しています.高標高域においては,その地形や環境の特性により,温暖化をはじめとした気候変動の影響が早いレスポンスで顕在化することが予想されています.しかしながら,知床山岳域における気象データはほとんど蓄積されていない状況にあります.今後風向・風速,気圧,雨量,日射量等を観測項目に加えつつ,気象観測を継続させることで,周辺環境の監視体制を築きたいと考えています.

サシルイ岳ピーク南西斜面.
硫黄山-知円別岳間稜線.
硫黄山山付近で気象計を設置している様子.